※この記事は、「ダンガンロンパ」「アニメ:絶望編」「アニメ:希望編」のネタバレを含みます。
最近、YouTubeショートで天願和夫(希望ヶ峰学園会長)が「何をしたいのかわからない」「意味不明ジジイ」と罵られている動画を見ました。
私は、「意味不明ではないのでは?」と感じたので、その根拠をつらつらと書きたい…。
天願和夫は究極の希望厨だということ
はじめに私が思ったのは、天願和夫は、江ノ島盾子なみにイカれているということ。
ダンガンロンパの2大キーワードとしてあるのが、「希望」「絶望」です。
希望の象徴は、主人公の苗木誠・日向創と思われがちですが、実は希望の象徴は天願和夫なんじゃないかと私は思いました。
天願和夫は江ノ島盾子の対存在
絶望の象徴は江ノ島盾子。これは共通認識ですよね。
江ノ島の目的は、絶望を世界に振りまき、混沌に陥れること…。一方で天願の目的は、世界を希望で満たし、一切の絶望を考えさせないようにすること。
そのためにはどんな手段でも取るという点で、一致しています。
その最たる例としては、絶望編で日向創に超高校級の才能を詰め込んで、希望の象徴にしようと人体実験をしたこと。
そのために、予備学科の生徒に高い学費を支払わせて、資金源にしていました。そもそも、そのために、希望ヶ峰学園を創立したのかもしれません。
世界を希望で満たすためには、高校生すらも利用するという異常性は、江ノ島に近いとも思います。
天願和夫は絶望の残党ではない
ダンガンロンパアニメ「希望編」では、「天願和夫は絶望の残党だったので、未来機関のメンバーにデスゲームをさせた」という描写がありますが、これをそのままの意味でとらえるのはナンセンス。
天願が雪染ちさに絶望ビデオと自決ビデオをUSBで渡された際に、これを見たのではという匂わせがありますが…天願はこれを見ていないと思います。
その根拠として、絶望のビデオを見た際には、キャラクターの目が「グルグル」しているんですよね。
では、希望の象徴である生徒たちが絶望したのが悲しくて「つい、やってしまったよ」と笑顔で言っていたのは何故か。
天願の目的は「世界中の絶望を、希望で上塗りする」ことだったのでは?
ではなぜ、天願は絶望編のような「人狼ゲームもどき」を実施したのか。
超高校級のアニメーターの御手洗亮太に希望のビデオを流させるためだと考えられる。そのために、未来機関を犠牲にしたのではないかと。
まず、御手洗亮太は、アニメーターの才能を江ノ島に利用されて、77期生(狛枝、七海など)を絶望に陥れる原因を作りました。
そのトラウマがあるため、希望のビデオを作っていたとしても、簡単には世界に流さない。それを天願は見越していたと考えます。
どうやって御手洗に希望のビデオを流させるか考えた結果が今回のゲームだったんですね。そして、その計画には「自身の死」も含まれていました。
希望の象徴の自分が「絶望の残党である」と御手洗に思わせ「もう希望のビデオを使うしかない」と思わせることが彼の本願だったのではないでしょうか。
その根拠として本編で、「御手洗亮太が今回のゲームに参加するのは予想外だった」とあります。これは、御手洗が消えたら、希望のビデオが頒布されなくなるからですね。
また、重富とのバトルシーンがありますが、その際しきりに「甘い」と言っています。死に際にも「今のやり方では解決しない」というニュアンスの遺言も残しています。
「戦争程度では絶望は消えない」とも言っていますね。
根絶やしにしようとしても、絶望は勝手に生まれてくるので、絶望が生まれる余地がないよう、希望で上塗りしようと考え、そのために御手洗を利用しようとしたのではないでしょうか。
希望に対する一貫性という点では、江ノ島と同レベルの異常さを感じます。人気キャラになれなかったのは、ちょっと謎ですね。
やっぱりビジュアルの違いなんでしょうか…。個人的にはハンターハンターのネテロ会長みたいで好きなんですが。
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