芹沢鴨は、実在の故人です。生没は(不明~1863年10月28日:江戸~幕末時代)と言われています。
レキシクロニクルでは、外見が女性ですが、史実は「男性」。
芹沢鴨という人物
新選組の前身となった、「壬生浪士組」と呼ばれる組織のトップ。
酒豪で女好きとして知られています。性格も、気に入らないことがあると乱暴を行うといった、破天荒ぶり。
もともとは、「浪士組」という、京都の治安維持部隊に所属していました。
芹沢鴨の所属した組織の流れは 浪士組→壬生浪士組→新選組 という順番。
最終的には、度を越した乱暴・酒乱さを見かねた「土方歳三」らから命を狙われ、斬殺されます。
芹沢鴨が所属していた「浪士組」は京都の治安維持部隊
当時、政治の中心は京都に置かれ、「幕府」という組織が統括していました。そんな中、幕府の政治に突如として災いが舞い降ります。
かの有名な「ペリーの黒船襲来」です。
ペリー来日時、日本は鎖国をしており、諸外国との交流を絶っていました。
しかしながら、ペリーの黒船を見た当時の幕府は、開国に踏み切ります。圧倒的な力の差を目の当たりにしたからです。
この開国は、当時の天皇の意思を完全に無視したものでした。
また、その際、日本にとって不平等な「日米和親条約」を締結。
これにより、幕府に不満を持っていた人々が「尊王攘夷」を掲げ、幕府を滅ぼそうとします。要は、「天皇に政治をさせて、外国を追い出そう!それを邪魔する幕府はいらない!」ということですね。
こういったこともあり、「尊王攘夷派」の活動で京都の治安はドンドン悪くなります。
現存の組織では対処できなくなったため、「浪士組」を治安維持部隊として結成させたのが、はじまりです。
そこに芹沢鴨がいたという、そういうお話。
「壬生浪士組」は京都に残った元浪士組が結成した独自組織
さて、浪士組ですが、本来は幕府を守る組織でした。しかしながら、浪士組を結成した「清河八郎」が、幕府を裏切ろうとします(というか裏切ります)。
浪士組を、尊王攘夷派に変えて、幕府を打ち倒そうと、そういった演説をし始めたんですね。
これに気づいた芹沢鴨は、近藤勇らと浪士組から脱退することになります。
浪士組から脱退した芹沢鴨たちは、八木邸を拠点として活動するうちに、壬生浪士と呼ばれるようになりました。
その際に、内部抗争が起きて、芹沢・近藤・新見が組の局長となり、芹沢鴨が筆頭となります。
これが、壬生浪士組の始まりというわけです。
芹沢鴨は「鉄扇」で槍を相手にするほどの武があった
話は逸れますが、芹沢鴨というと、キャラクターモチーフとして「鉄扇」がよく用いられます。
芹沢鴨が近藤勇らと警備に出た際の出来事が元ネタです。
設立初期の壬生浪士組は、周囲からはあまり知られておらず、「みぼろ」などと揶揄されるような組織でした。
会津藩の御門を守っていた会津藩士たちが、壬生浪士のことを知らなかったので、芹沢鴨一同は足止めを食らうことに。
藩兵が槍をかまえて、通さないようにしたところ、芹沢鴨が笑いながらそこを通ろうとします。不審者と思ったんでしょうね、会津藩士が槍をつきつける事態に発展。
その際、芹沢鴨は刀を使わず、愛用していた鉄扇で槍をしのいだという逸話があるそうです。
このころに、壬生浪士組は「新選組」という隊名を与えられたという説もあります。
性格が災いして新選組隊士から暗殺され生涯を遂げる
さて、ここまで見ると、芹沢鴨は武も立ち、豪胆で、忠義深い人物に見えます。
そんな彼ですが、致命的な欠点がありました。
酒好き・女好き・暴力的
芹沢鴨は、酒が入ると暴れたり、気に入らないことがあると店を破壊するといった、乱暴ぐせがあったのです。
たとえば、以下のようなことをしています。
・大阪へ行く途中で、力士が道を譲らなかったので乱闘
・角屋という店で宴会をした際に、大暴れ(大暴れしたのには一応理由があります)し、店を営業停止に追い込む
・お気に入りの芸子が肌を許さなかったので、店主を脅して、芸子を断髪させる
こういった目に余る傍若無人っぷりをよく思わなかった「土方歳三」らの隊士に暗殺され、その生涯を終えることになります。
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